詳しすぎるプロフィール(笑)

ボイスマルシェ - 相原 結響 - 恋愛アドバイザー - LGBTQ

◆名前:相原 結響(あいはら ゆき)

※どうかお気軽に“結響”とお呼び頂ければ嬉しいですo(*^▽^*)o

◆身長:151センチ(多分w)

◆体重:死んでも言えません…orz

◆愛してやまないもの:ディズニープリンセス❤とその音楽(サウンドトラックなど)

山あり谷ありの人生経験を経て、今では幸せな結婚生活を送らせてもらっています(/ω\*)
この貴重な経験をした私にしか出来ないお手伝いがあると信じ、恋愛のご相談をお受けして来ました!

 

たくさんの涙と孤独を経験してきたからこそ、あなたの痛みにピッタリ寄り添えます。
あなたと共に感じ決して否定しない、そんな安心の共感に包まれて下さい。

あなたの問題を違った視点から見る事、自己発見の旅のお手伝いができます。
あなたは十分頑張っています!本当に偉い!辛かったですよね。

傷付いたあなたに愛のある言葉を贈り、あなたの全てを受け止めます!

♪結響の自己紹介ムービー♪

私の事について、動画で喋っています♪
5分くらいの動画ですので、よかったらご覧になってみて下さい(*^∀^*)

 

結響の自己紹介ムービー ~好きなもの編~ *Disneyについて*

 

 

結響の自己紹介ムービー ~ 好きなもの編 〜 *ゲーム&漫画について*

 

 

実はそんなに凄くない(笑)*人生経歴*

まずは、私の人生経歴を交えながら、詳しい自己紹介をしたいと思います。
私の人生の歩みを知っていただくことで、
より私のことを理解していただきたく、このようなページを設けました!

私がどんな人間なのか分からなければ、あなたにとって私という人が、
お悩みを打ち明ける相手として、ふさわしいか判断できないと思ったからです(*^∀^*)

また、別ページにて「どうして恋愛相談をお受けしようと思ったのか」
その理由も語っていきたいと思います!

さて「人生経歴」なんて言えば、たいそうなモンですが、そんなに立派なものではありません(笑)

簡略化していますが、人ひとりの人生を語る事になるので、
短いとは言えない文章ですが(苦笑)、どうかお付き合いください!!(*T∀T)

 

*物心ついた頃~小学校6年生*

■恋愛サイド

孤独な人生を送る。
いじめにあっていたのもあり、とにかく友達がいなかった。

私の娯楽は、月間少女誌の「なかよし」しかありませんでした。

友達という媒体から入ってくる情報が、
極限まで少なかった私は、娯楽というものを、
それくらいしか知らなかったのです。

毎日のようになかよしを読んでいました。
自分もいつか少女マンガのような恋が出来ると、信じていたのです。

私はここで、大きな勘違いをしています(笑)
世間の男の子というのは皆、恋愛少女漫画に出て来るような人だと
信じ切っていたからです。外見の話しではありません。

恋愛において、全ての男の子が恋愛少女漫画にあるような、
口説き方、シチュエーションをしてくると信じ切っていたのです。

これは後々、大きな間違いだったという事に気付きます(笑)
あんな男の子ばかりではありませんよね。

特に日本男児には無理難題です(笑)
イタリア人だったら少しは可能性があるかもしれません(笑)

 

■心と身体サイド

この頃は、架空の友達と話したりして、確実に心は病んでいました。

自殺願望もありました。

私が家庭から受けた傷のほとんどは、
この幼少期~小学生の頃のものです。

後に、自分がアダルトチルドレンだと知る事になります。

 

*中学1年生*

■恋愛サイド

私は初めて本来の学校、本来の友達というものを知る。

本当に楽しいキラキラした中学校生活でした。
私の人生はここから始まったのだと思っていました。

初めて告白されたのも、この時でした(/ω\*)

小学生の時、「お前を好きになる男なんていない」
とまで言われた私ですから、信じられませんでした(笑)

告白してくれた男の子の事は、
今でも、とても良い思い出です(/ω\*)

 

■心と身体サイド

私は初めて本来の学校、本来の友達というものを知る。
本当に楽しいキラキラした中学校生活でした。

自殺願望は消えていましたが、心の闇は消えていませんでした。

 

*中学2年生*

■恋愛サイド

この頃の私は、恋愛のことよりも、
友達と遊ぶことに夢中になっていました(笑)

まさに学校生活を友達と共にエンジョイして、本当に楽しかったんです。

この頃、私は「ニューヨーク・ニューヨーク」という、
大好きな作家さんの素晴らしい漫画と出逢いました。

その漫画のおかげで、私は同性愛者という人たちに対し、
偏見のようなものを完全に捨て去れたと思っています。

しかしそれと同時に、ある一つの疑問と悩みを抱えていました。

それは「自分はバイなのでは?」ということでした。

この悩みは真剣に向き合おうにも疑問が多く、
また真剣に向き合うのが怖い悩みでもありました。

 

■心と身体サイド

中学2年の終わりの時、
私の中で、何かがプツンと音を立てて切れた。

信じられないけど、私は確実にその「プツン」という音を聞いた。

既に小学生の時から心が病んでいたので、
楽し過ぎたくらいの中学生活を送っていても、
私の中に巣食った病は消えてくれてはいませんでした。

精神科の病院の扉を叩いて、「うつ病」の診断が下されました。
パニック障害のような症状も現れていました。

この頃から、私は「眠剤(みんざい)」と呼ばれる、
睡眠導入剤がないと眠れなくなっていました。

この頃からすでに、私は眠剤が手放せなくなっていたのです。

 

*中学3年生*

■恋愛サイド

どうしても心の病を治したくて「入院する手もありますけどね…」
という主治医の言葉に喰らい付き、自ら望んで精神科に入院を決める。

そこで私は第一の運命の人に出逢う事になります。

彼と出逢って恋をした時、私は今までの自分の恋愛が、
恋愛だと思っていたものが、どれほど浅く、軽く、
薄っぺらいものだったか、思い知りました。

彼と常に一緒にいれなければ、本当に死んでしまいそうな気持ちでした。

そんなことは、初めてだったのです。

 

■心と身体サイド

自ら望んで精神科に入院を決め、この入院で私を待っていたものは、
初めて自分の心の苦しみを理解してくれる人たちとの出逢いでした。

私は彼らに理解してもらい、共感してもらい、
そして許されていたので、本当に嬉しく妙な安堵感がありました。

学校の友達とは違う、大好きで大切な仲間との出会いだと思っていますし、
そういう出会いがあった私は本当に幸せだったと思います。

 

*高校1年生*

■恋愛サイド

一世一代の初恋は、実らず終わりを告げる。
それを終わらせてくれたのは、第二の運命の人との恋でした。

この頃、私は入院していたため、
大好きな彼と思うように会うことが出来ず、私はその寂しさから、
友達の彼氏と恋愛関係になってしまいます。

この事で自分だけでなく、大好きな彼と、
友達を傷付ける結果になってしまいました。

それでも私の間違いを赦してくれた彼を、
私は心から愛していましたし、感謝していました。

 

■心と身体サイド

ここでは詳しいことは書けませんが、
私はこの頃、事故に遭い、入院生活を余儀なくされていました。

「絶対安静」と言い渡されるほどの大怪我で、
死んでいてもおかしくなかったと思います。

この時の事故の後遺症で、私は長時間、歩き続けたり、
立ち続けたりすることが、痛みにより困難な体となっていました。

それは私から色々な可能性を奪いましたが、
「職種の選択肢」を狭めたのを、
嫌と言うほど痛感せざるを得ませんでした。

なんせ、コンビニの店員も、スーパーのレジ打ちも、
激しい痛みのせいで、出来なくなってしまったのですから。

 

*高校を中退して 15歳*

■恋愛サイド

いつのまにか第二の運命の人との恋に、幸せの毎日と、
悩む毎日を行ったり来たりするようになっていた頃、
専門学校のようなところで、ついに“真の運命の人”に出逢う。

この最後の運命の人との出逢いが、私の人生をさらに変えました。

彼は私が第一の運命の人と出逢って以来、
パートナーに求めていたものの全てを持っていました。

文章で表現すると、色々とややこしいので(笑)、
この最後の運命の人の事を、オズと呼ぶ事にします(笑)

「オズ」という名前は、彼のインターネット上での名前です(笑)

 

■心と身体サイド

この頃の私は、第二の運命の人である、
大好きな彼と思うようにいかず、自傷行為を繰り返していました。

自傷行為をすることで彼の気を引きたかったのも、
少なからずあったと思います。

しかし、過去の痛みの蓄積も間違いなく存在し、
私を苦しめていたと思います。

そんな時に“真の運命の人”と出逢いました。

 

*無職 16歳*

■恋愛サイド

第二の運命の人と苦渋の別れを選択し、
真の運命の人、オズとの、結婚を前提とした交際をスタートさせる。

私はここで一度目の、女としての幸せのピークを迎えます。
彼は私の全てを受け止めてくれました。

私の心の病も、何に苦しんでいるのかも、
何を求めているのかも、本当に全てを受け止め、
そして彼の全てを私に与えてくれたのです。

本当に幸せでした。

 

■心と身体サイド

真の運命の人、オズとの、結婚を前提とした交際をスタートさせても、
私の心の闇、苦しみは消えてはくれませんでした。

中学に入学した時もそうでしたが、
どれだけ環境が私を幸せにしようとも、
私の中の苦痛は、そう簡単には消えてくれませんでした。

自傷行為を繰り返すことで、言葉にならない苦痛をアピールしていました。

それしか自分の苦痛を表現できないような、
そんな気持ちだったのかもしれません。

 

*フリーター 18歳*

■恋愛サイド

付き合い始めて3年目、
最後の運命の人であるオズとも、うまくいかなくなる。

何回か別れ話を繰り返すようになり、破局を迎えてしまいます。

全てを惜しみなく与えてくれる彼に対し、甘え過ぎていた自分を恥じ、
激しく後悔した事もありました。

しかし彼との、幸せと愛で溢れた関係が、どんどんと難しいものになり、
私達の間に入った亀裂は残り続け、なかなか消えてはくれませんでした。

私は彼との難しい恋愛に疲れ切ってしまい、
彼も相当参っているようでした。

そして苦しみながら、別れの道を選ぶ事になります。

 

■心と身体サイド

付き合い始めて3年目、最後の運命の人であるオズともうまくいかなくなって、
何回も別れ話を繰り返すようになり、破局を迎えてしまいます。

私にも非はありました。
しかし、私は彼との難しい恋愛に疲れ切ってしまっていました。

正しい判断が出来るような精神と思考回路を、失っていたんです。

私は身近にいた人を、彼の“身代わり”に選び、
そうする事で彼のいない人生をなんとか生きようとしました。

その愚かな選択でしか、進むべき道がないと思っていたのです。

 

*破局後 フリーター 18歳*

■恋愛サイド

運命の人でもなんでもない人と10ヶ月交際する。
ただひたすらに地獄の10ヶ月を過ごす。

本当に地獄でした。
何故なら、その人はモラハラ男だったからなんです。

彼との交際は断じて健全なものではなく、
彼のDVで成り立っていました。

当時はまだ「モラルハラスメント」という言葉が
普及していませんでした。

そういう時代だったこともあり、私は彼の言動が、
「モラルハラスメント」という名のDVであることに、気付かなかったのです。

私の周囲の人も「おかしい」とは感じても、
それがDVだとは気付かなかったようです。

私が彼の言動が「モラルハラスメントのDV」であることを知ったのは、つい最近、
カウンセラーさんに言われて初めてそうだと知りました。

そして同時に、もの凄く納得がいったんです。

でも前の彼と別れて生きていくには、その人が必要だったのです。
愚かでした。本当に愚かでした。

 

■心と身体サイド

運命の人でもなんでもないモラハラ男と10ヶ月間、
交際し、ただひたすらに地獄の10ヶ月を過ごす。

この頃の私は、順調に痩せて行ったので、
それだけは本当に嬉しかったのですが、
今思えば、あれは“やつれ”だったかもしれません。

パートナーとは常に一緒にいたいと思うタイプの私が、
自室に一人でいる時の方がよっぽど落ち着く、と感じていました。

離れていても寂しくないし、それどころか楽だったんです。

精神的な不安定さは、今思えばあって当然の環境でしたが、
彼がそれを許さなかったので、私は自分を殺すしかありませんでした。

私が彼との関係で学んだことは、2つあります。

一つは、寂しさから誰かと無理やり一緒になっても、
本当の幸せはやって来ない、ということ。

二つ目は、別れてしまったオズ、彼のような人格を持った人がいたこと、
そして、その人が私を愛してくれていたのは、
決して当たり前の事ではなかったのだということです。

 

*フリーター 19歳*

■恋愛サイド

最後の運命の人は、やはり真の運命の人だった。
モラハラ男と別れ、オズと破局した1年後に、彼と再会を果たす。

再度、連絡を取り出すようになってから、
私は1ヶ月間、どうすべきか悩みましたが、
再会して迷いは消し飛びました。

私の迷いを吹き飛ばしたもの…
それは彼からの再プロポーズでした。

私の二度目の女としての幸せのピーク…の入り口がここです。
彼との二度目の同棲が始まりました。

 

■心と身体サイド

最後の運命の人は、やはり真の運命の人だった。

モラハラ男と別れ、オズと破局した1年後に、
彼と再会を果たし、二度目の同棲を始めました。

しかし、私の自傷行為癖は再発していました。

当時の彼の職場が遠かったのもあり、
彼と一緒に過ごす時間は、1日に3時間もありませんでした。

その寂しさが、自傷行為の一因になっていたことは間違いありません。

しかし、私の中には苦痛の蓄積が、溢れていたんだと思います。

環境ではなく、自分の意思で自傷行為癖から
脱出する何かが必要だったと思います。

 

*フリーター 21歳*

■恋愛サイド

オズと念願の入籍を果たす。

入籍の翌年には、夢だったウェディングドレスを、
かけがえのないパートナーの隣で着て、式を挙げました。

しかし、私には一つ悩みが残っていました。

「自分はバイかもしれないなら、結婚すべきではないのでは?」

そんな苦悩が時折、私を苦しめていました。

 

■心と身体サイド

オズと念願の入籍を果たし、夢だったウェディングドレスを、
かけがえのないパートナーの隣で着て、式を挙げました。

この頃の私はやっとで自傷行為癖から脱出できていました。

脱出できたのには、多分、夫となった彼の悲しみを、
理屈ではなく、心で理解し、受け入れる事が出来たからだと思います。

当時、私が自分を傷つけるたびに、彼を酷く悲しませていました。

今までは自分の苦痛を表現すること、自分の中の苦痛でいっぱいいっぱいで、
彼の悲しみを理屈で理解していても、それを受け入れる心の余裕がなかったのだと思います。

自傷行為癖から抜け出した時の気持ちは、今でも覚えています。

『訳はうまく説明できないけど「もう大丈夫だ」』
そんな感覚だったのを覚えています。

雲が晴れ、青空が見えたような、そんな気持ちでした。

 

*主婦 24歳*

■恋愛サイド

高等学校卒業程度認定試験(旧大検)を合格した年に、
夢にまで見たウォルト・ディズニー・ワールドにハネムーンに行く!!

高校に通う事は二度となかったけれど、高校卒業と同等の資格を得て、
さらにその上、ハネムーンですから、本当に幸せでした!!(´;∀;`)

ハネムーンの思い出は、これまでの思い出とは少し格が違っていました。
眩し過ぎて涙が出る位に輝く、一生の宝物の思い出です。

そういう思い出は今までいくつかあるけれど、
これは本当に特別な思い出です。

 

■心と身体サイド

高等学校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、
夢にまで見たウォルト・ディズニー・ワールドに
ハネムーンに行けたこの頃には、
私の心の病の症状は、ほとんど治まっていました。

ごくたまに、パニック発作のようになったり、
情緒不安定になったりしましたが、
生活の大部分は笑顔で過ごせていました。

残る症状はただ一つ、睡眠障害だけでした。

この頃の私の睡眠障害の症状は、

  • 入眠障害
  • 断眠
  • 熟眠障害
  • 過眠
  • 早朝覚醒(場合により)
  • 睡眠相後退症候群
  • 「レム睡眠行動障害」の疑い?

と、症状の多さに笑っちゃうくらい、睡眠に問題を抱えていました。

 

*主婦 28歳*

この頃まで私は将来、看護師になる為に、看護学校に通いたいと思っていました。
高等学校卒業程度認定試験(旧大検)は、そのために取得したといっても過言ではないのです。

そしてもし、目標の看護学校を卒業できたなら、
その頃には赤ちゃんを授かっていたい、と思うようになってました。

しかし、この頃の私の睡眠では到底学校に通えるわけがありませんでした。
子供なんてもっと無理です。

そこで私は重い腰を、覚悟の意思でやっと上げて、
睡眠障害の治療と、断薬を最終目標にした減薬を始めました。

(断薬というのは、文字通り今飲んでいる薬を断つ事、
つまり一切薬を飲まない・飲んでいない状態の事です。
減薬も文字通り、薬を減らしていく行為を指します。)

分かってはいましたが、睡眠障害と真正面から向き合って、
減薬を実行するのは、本当に辛く大変で、泣きながら歯を食いしばって耐えました。

私の自分改革の旅は、間違いなくここから始まったのだと思います。

 

*主婦 29歳*

■心と身体サイド

私は睡眠障害の治療に取り組み始めてから、運よく、
「スペシィフィック・カイロプラクティック」という、
素晴らしい治療法と出会い、頑張った甲斐もあり、
減薬は成功し続けました。

減薬を始める前に比べ、飲む薬の量は8分の1までに減ったんです!
残る症状は「入眠障害」だけとなり、睡眠の質は劇的に改善されていました!

いったん、眠れてしまえば以前とは比べものにならないくらい、
熟睡できるようになりました。

ただ、寝つきが悪いこと(入眠障害)だけが問題として残りました。

 

■恋愛アドバイザーサイド

この頃、夫が「専門学校に通いたい」と言い出した事がありました。

今は別の目標を持っているのですが、
当時は本気で行きたがっていたので、
私もなんとかそんな彼を応援したかったんです。

しかし、問題がありました。

それは彼が学校に通っている間、
共働きしなければ、到底生活していけない、
というお金の問題でした。

ただ不眠症と闘っている私にとって、
働きに外に出るのは、あまりにも現実的ではありませんでした。

そこで私は自宅でも出来るお仕事を探し始め、
紆余曲折を経て、恋愛のご相談をお伺いする、
恋愛アドバイザーとしての道を歩き始めました。

 

*主婦 30歳*

■恋愛アドバイザーサイド

「恋愛アドバイザー」として、恋愛のお悩みをお伺いしているうちに、
ご縁を頂き「ボイスマルシェ」さんで、
相談員として参加させて頂く事になりました!

そして、色んなお悩みをお持ちの方のお力になりたいと、
様々な勉強を始めました。

「メンタル心理カウンセラー」の資格も、
無事に2015年5月11日に取得しました。

 

■心と身体サイド

夫と二度目の同棲を始めた頃から通院している
病院のデイケアで、「リラクゼーションヨガ」や
「マインドフルネス」といった治療にも、出来る限り積極的に参加し、
私は必死になって不眠症を治そうとしていました。

しかし、私はもう一つ、
自分の抱えている問題をなんとかしたいと、強く考えていました。

私は自分の抱えている、幼少期の頃の家族から受けた心の傷の正体を知りたくて、
必死になってネット検索で調べて、一つの答えに行きついたんです。

アダルトチルドレン:
元々、薬物依存症またはアルコール依存症の親を持つ子供を指す言葉だったが、
現代では、幼少期に家庭から何かしらの傷・トラウマを受け、
それを抱えたまま大人になった人の事を指す。

この記述をインターネットで発見した時、
私は自分がアダルトチルドレンだと、ほぼ確信しました。

そして、ずっと通院していた病院でカウンセリングを受け始めました。

そして、あるきっかけで、私の不眠症はどうやら私の過去の傷、
家庭から受けたトラウマが関係しているのでは?
というところまでたどり着いたのです。

不眠症との闘いに、一筋の光がさし、ゴールが見えてきました。

 

*現在に至る*

そして、現在に至ります。
ほら、たいした恋愛経験じゃなかったでしょ(笑)

簡略して書いたというのもありますが、
別に驚くほどの男性経験という訳でもありませんよねw(;´・∀・`)

けれど、私が他の大多数の既婚女性と違っている点。
それは最高のパートナーと、最高の結婚をしたという事です。

運命の人との出逢いがそれを実現させてくれました。

そして、私は14歳の時、第一の運命の人と出逢ってから、
今日まで1日たりとも恋をしていない日がないのです。

夫と一度別れて付き合っていた男性に、恋をしていたかどうか―――

それはあえてハッキリさせたくない程の辛い思い出で、
こう言うのは何だか凄く悔しいのですが、
愚かだろうが不幸せだろうが何だろうが、私は少しでも彼に恋をしていました。

認めたくないけれど、だからこそ夫と別れた後の代替え品として選べたのです。

この代替え品の男性との別れから、夫との再スタートまでに、
1~2ヶ月、空白を開けた以外は、彼氏がいなかった時期がありません。

私はこれを自分で少しも誇らしいと思った事はありません。
むしろ逆です。

自分が「乗り換え上手な女」であるようで、そんな自分に嫌悪感しかありません。
私は決して乗り換え上手であろうとしたわけでは、断じて!断じてありません。

本当に、必然とも言うべきの、ただの偶然なのです。
そうならざるを得なかっただけで、何のステータスでもありません。

 

「どうして恋愛相談をお受けしようと思ったのか」の理由

ここまで根気強く読んで来て下さったあなたなら、分かって頂けると思いますが、
私のこれまでの人生は「恋愛」と切り離せないものです。

そして、辛い経験もたくさんしてきました。

いじめ、孤独、心の病、パニック発作、不眠症、自傷行為、アダルトチルドレン、
自殺願望、モラハラ男のDV…そして友達の彼氏と恋愛関係になってしまったり、
バイなのではと悩んだ事も書いてきました。

たくさんの涙と孤独を経験してきた私だからこそ、あなたの痛みにピッタリ寄り添えるのです。

ここからは、どうして恋愛相談をお受けしようと思ったのか、
その理由を別ページで語りたいと思います。

私の想いを聞いて下さい!
もう少し、お付き合い頂ければと思います。

続きはこちらからです!

 

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